姫路を散策

兵庫県姫路市を散策してきました。

 

 兵庫県の南西部、播磨地方に位置する市。

 新幹線停車駅です。在来線はJR神戸/三宮駅から新快速で約37分です。新快速の西の終着駅ですね。

 世界遺産の姫路城、書写山圓教寺などで知られています。

 

 

 只今JRではデスティネーションキャンペーンとして、「兵庫テロワール旅」の観光キャンペーンを実施しているとあり、

 駅長おすすめ駅プラン「日帰り 美食めぐり ひょうご」(実施期間:2023年7‐9月)に掲載されているプランのひとつに参加してきました。

 

 このパンフレットには、神戸で牛鍋、姫路で姫路和牛、播州赤穂で鱧、城崎温泉で但馬牛、明石でタコ、香住で白イカのプランが掲載されています。

 

 

 今回は姫路で姫路和牛を頂いてきました。

 

 まずは、パンフレットにあるQRコードでWeb予約をして、切符やバウチャーを受け取ります。

 そして、予約した指定日に出発です。

 今回は新大阪駅から新快速で約1時間ということで、在来線で行きました。

 

 新快速の西の終着駅、姫路駅に到着です。列車は回送列車となり引き上げていました。

 

 姫路駅より徒歩1分のホテルの中にあるイタリアンレストランでお食事を頂いてきました。

 レストランの開放感のある窓からはJRがよく見えました。新幹線とか、在来線とかを見ながらのお食事でした。

 食事は11:30にスタートして、13:00頃までゆっくりと頂きました。

 

 メニューは飲み物、

      本日のアンティパスト、

      自家製フォカッチャとドライトマトオイル、

      特製ピンクのカルボナーラ

       魚料理とリゾットの盛合わせ、

      姫路和牛サーロインのグリル 季節野菜添え、

      ドルチェ3種盛合わせ、

      コーヒーまたは紅茶、です。

 

 

 美味しかったです。ご馳走様でした。

 

 姫路城は既に観光済みのため、ランチの後は姫路駅周辺をブラブラ歩き、ショッピングを楽しんで、帰途につきました。

 

 兵庫県は神戸、但馬、播磨と多様な顔を持つ地域があります。今回は播磨地方を訪れましたが、他の地方もぜひ訪れてみたいものです。

倉敷美観地区を散策

岡山県倉敷市を散策してきました。

 

 岡山県の南部に位置する市。

 JR岡山駅→JR倉敷駅は電車で約17分です。

 白壁の町並みが残る倉敷美観地区、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋などで知られています。

 

◎今回はJRの駅プラン「春の倉敷アフタヌーンティーに参加しました。

 岡山の旬の特産フルーツを使ったちょっぴり贅沢なティータイムを楽しめます。

 

 2023年4~6月の京阪神発の往復JRとランチ(アフタヌーンティー)のセットプランです。

 ランチは6つの食事施設から選べます。

 申込は予約ダイヤルに電話か、Web予約で行います。

 

 申込みと支払いが済み、数日すると切符とバウチャーが郵送(申込み時に選択した受取り方法)されてきます。

 

◎当日、切符とバウチャーを持って、出発です!!

 

 新大阪→岡山は新幹線です。指定席ですので、指定された列車(申込み時に選択した列車)に乗りましょう。

 

 岡山駅で在来線に乗り換えます。

  → 新幹線改札を出てすぐの、1、2番のりばに行きます。

    山陽本線(金光、三原行)か伯備線(新見行)に乗ります。

    4駅で、倉敷駅に到着です

 

 

倉敷美観地区を散策。

 駅や観光案内所で地図を手に入れて、出発です。

 駅から10分ほど歩けば、倉敷美観地区の入り口です。

 江戸時代の面影を残す町並みを散策開始です。

 

 食事処やカフェも多くあり、疲れたらお茶休憩や甘いものを食べたりできます。

 他に、着物レンタル、人力車乗車、川舟乗船等もできます。

 お店を覗きながら、カフェでお茶しながらぶらぶらしていると、すぐに時間がたってしまいました。

 

 

 

アフタヌーンティーへ。

 6つの食事施設から選んだお店に、指定時間(申込み時に選択した食事開始時間)に行きます。

 

 今回は③武野屋 別邸を選びました。

 ここにした理由はランチメニューがアフタヌーンティーなのに「和」だったからです。

 

 ランチメニューはお茶(上煎茶、高梁紅茶)、椀物、八寸、手まり寿司、段々プレート、水菓子です。

 写真は武野屋別邸の外観と、アフタヌーンティーの段々プレートです。

 

 

 

 お料理は岡山産の食材も使われており、見た目もお味もとても美味しかったです。

 写真にあるワイングラスで頂いた高梁紅茶は香りも味も良かったです。

 お料理もサービスも大満足でした。ご馳走様でした。

 

◎あっという間に帰る時間がやってきました。

 また岡山から指定された列車(申込み時に選択した列車)に乗って新大阪まで帰ります。

 倉敷駅岡山駅に「さんすて」がありますので、お土産や帰りのお供(駅弁等)買えます。

 

 JRの各駅で様々なパンフレットを見かけますが、手に取って見て、申込みをしたのは始めてでした。最近は1名から利用OKのプランもありますし、Web予約もできますので、気軽に申込めました。

 そして、倉敷の町へ行ってみて、天気は良かったですし、町並みも綺麗ですし、アフタヌーンティーも良かったので、満足の日帰りの旅でした。

 

*ご案内:JRの駅プラン2023年7~9月「夏の倉敷アフタヌーンティー」プランがあります。春とは違った食材が楽しめるようですので、よろしければご参加を!

サボテン日記

サボテン日記   ~失敗から学ぶ~

 

2012年にサボテンを頂きました。

種類は青王丸ノトカクタス属)、丈夫で育てやすいサボテンです。

 

 今回お伝えしたいことは、「サボテンの育て方を調べて、適切に育ててあげましょう」です。

 

 というのも、サボテンを頂いてから長い間種類も知らず、育て方も調べもしませんでした。結果、枯らしたり、株に負担をかけたりしました。

 今思えば、丈夫でよかったです…。

 

 サボテンは水やりをしなくてよいとか、あまりお世話しなくてよいイメージがありますが、全くの放置でよいというわけではありません。他の植物と育て方が違うからこそ、育て方を調べる必要があります。

 

 既にサボテンの育て方を知っていらっしゃる方は多いと思いますが、今回は私の様なサボテン初心者の参考にしていただければ幸いです。

 

 

★2012年から2022年までの成長記録と共にご覧ください。★

(2012年)

この状態で頂きました。ご覧の通り、2本あります。

 

(2017年)

それから5年が経過しました。

時々水やりはしていましたが、頂いた時のままです。

 結果、1本のサボテンは早々に枯れてしまいました。写真手前の茶色い物体がその残骸です。それも、そのまま放置していました。

 青王丸も生きてはいますが緑が薄くなり、今思うと見るからに元気がなさそうです。

 →ここで始めて育て方を調べました。遅いです!!

 

(2018年)

3月 → 植替え前の写真です。

 

4月 → 初の植替えをしました!

植替えに適した時期は4~5月。

土は市販のサボテン土を使用しました。

植替え前と後の水やりのタイミングに注意してください。

 

9月 → その後…

緑が濃くなって、一回り大きくなった気がします。元気になってよかったです。

 

(2022年)

2018年に初植替えをしてから、2年おきに植替えを行うようになりました。

鉢も徐々に大きくしていきました。

 

5月 → 植替え後は元気に過ごしています。     

 写真では見にくいですが、サボテンの登頂に毛に覆われた小さなものが出現しました。なんだろうと思っていると、どんどん大きくなり、毛に覆われた蕾になっていきました。

 そして、6月にこうなりました ↓↓(次の写真)。

 

6月 → 祝、花が咲きました!!!

 

蕾ができてからは1ヶ月程で開花しました。

花が咲いたのはこの1日だけなのが、残念でした。長く楽しみたかったです。

 

 

★サボテンを育てて失敗したと思ったことをまとめます。★

①サボテンが家にきたら、まず育て方を調べてください。

 これはサボテンだけではなく、どんな植物にも当てはまることですが、始めに育て方を調べることが大切だと体感しました。

 

②サボテンの状態を見てください。

 お店で購入するとお洒落な容器で、お洒落な土に植わっています。この状態はサボテンにとってはあまりよい環境ではないらしいので、早めにサボテンに適した土に植え替えをしてあげてください。そのまま放置すると枯れたり、弱ったりします。

 

③植え替え時の注意事項があります。

 植替えに適した時期は4~5月です。

 水やりは植替え前2週間と植替え後2週間程は控えます。

 植替え後の置き場所も直射日光が当たらない場所にします。

 土は自分で土をミックスしてもいいですし、市販のサボテン用土を使ってもいいです。

 

④適切に育てていれば、花は数年で咲くそうです。

 我が家のサボテンは5年も放置していたため、花が咲くまで10年かかりました。

 本来は2~3年程で咲くそうです。

 

 

★最後に…

 これらのことに気が付くまでに5年もかかってしまいましたが、現在は花を咲かせたり、子株を付けたりと、元気に過ごしております。

 この失敗が、今からサボテンや他の植物を育てようとしている方々の参考になれば幸いです。そして、植物が共にある生活を楽しんでいきましょう。

 

 

日本の城

★日本の城

 

 お城観光に行きました。

 案内板に書かれている言葉の意味が分からなかったので、調べてみました。

 

〈姫路城のパンフレットより〉

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●築城:城を造営すること。

 

●地勢による分類 (これらの区別は明確ではない)

  平城  ひらじろ  :平地に築かれた城をいう。

  平山城 ひらやまじろ:平野の中にある山、丘陵等に築かれた城をいう。

  山城  やまじろ  :険 な山を利用して築かれた城をいう。

 

●縄張 なわばり:築城に際しての基本設計。

 

  ・縄張の分類

    輪郭式(りんかくしき)、連郭式(れんかくしき)、梯郭式(ていかくし

   き)、渦郭式などがあります。

    言葉で説明するより、分かりやすい図がありましたので、掲載させてもらい

   ました。

 

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出典:Wikipedia

 

  ・曲輪(くるわ)、郭(くるわ)、丸(まる)

    堀や土塁、石垣で囲まれた区画。

    城はこの曲輪をいくつも連ねることで成り立っていた。

    江戸時代には中心的な曲輪に本丸、二の丸などの名前が付く。

 

●普請 ふしん:掘や土塁を築く土木工事。

 

  ・虎口 こぐち

    城の出入口のこと。

    城の正面の虎口には大手門、追手門(おおてもん)、裏の虎口には搦手門

  (からめてもん)が構えられた。

 

●作事 さくじ:門、塀、櫓、屋敷、天守などを建築する。

 

  ・塀 へい:矢や鉄砲の弾丸などを射出するための小窓(狭間 さま、はざま)

       が設けられている。

 

  ・櫓、矢倉 やぐら:物見台や倉庫、防衛を兼ねた建物。

            数字やいろは順、方位を冠して呼ばれていた。

           (例:一の櫓、はの櫓、巽櫓など)

 

      三重櫓、二重櫓、平櫓:それぞれ三重、二重、一重の屋根を持つ。

      隅櫓、角櫓  :曲輪の隅に配置される櫓。

      多聞櫓、多門櫓:多門とは長屋状の建物のこと。

              櫓の間を繋ぐように建てられたものは「渡櫓」、門の

             上のものは「櫓門」、櫓門から連続した多聞櫓は「続

             櫓」と呼ばれる。

 

天守 てんしゅ:城郭の最終防衛拠点と位置付けられ、城の象徴でもある。

 

         城によっては小さめの多重櫓を小天守、副天守という。

         天守に付属する櫓のことは付櫓、附櫓(つけやぐら)という。

 

   形式:望楼型 入母屋造りの櫓上に小型の望楼を載せたような形式である。

      層塔型 1層から最上層まで全てきちんとした矩型になる。

首里城

 

首里城(しゅりじょう)

 

現在の沖縄県那覇市にある城址

琉球王朝(1429-1879年)の王城。

創建年代は14世紀頃と推定される。

数度にわたり焼失し、再建されてきた。

 

2019年10月に正殿と北殿、南殿が焼失した。

 

 

首里城の特徴〉

首里城は中国の城の影響を大きく受けている。

門や各種の建築物は漆で朱塗りされている。

各部の装飾には国王の象徴である龍が多用された。

王の居住する中心部は正殿と呼ばれる。

 

首里城 地図〉

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〈2011年に訪れた時の写真です〉

 

ゆいレール首里駅から徒歩(約15分)で行きました。

   ↓

守礼門 (しゅれいもん、しゅれいのもん)

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   ↓

園比屋武御嶽石門 (そのひゃん うたき いしもん)

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 世界遺産

 御嶽(うたき)とは、琉球神道における祭祀などを行う施設だそうです。

   ↓

歓会門

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 正門。石造りのアーチ門。

   ↓

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   ↓

龍樋 (りゅうひ)

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 階段を上っていきます。瑞泉門の手前にあります。

   ↓

瑞泉門

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   ↓

正殿

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 国王の象徴である龍がたくさんあしらわれています。

   ↓

正殿 内部

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 中段が玉座です

   ↓

お土産を求めて、首里城観光は終了しました。

 

 

もうひとつ、訪れてみました。

   ↓

勝連城 (かつれんじょう、かつれんぐすく)

 

沖縄本島の中部勝連半島の根元に位置する、丘陵上に築かれています。

 

城壁は自然の地形を利用しながら、石灰岩の石垣をめぐらせています。

 

有力あ司(あじ)・阿麻和利(あまわり)の城として有名です。

 

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 レンタカーを借りて行きました。駐車場ありました。

 城趾です。

 写真で分かるように、小高い丘を登っていきます。石垣しか残っていませんが、石垣の積み方はとても綺麗です。そして、登った先の景色をお楽しみください。

 

 

 

以下は参考にしてください。分からないので、調べてみました。

   ↓

★ 世界遺産に登録された城趾

  今帰仁城趾  (なきじん  じょうあと)

  座喜味城趾  (ざきみ   じょうあと)

  勝連城趾   (かつれん  じょうあと)

  中城城趾   (なかぐすく じょうあと)

  首里城趾   (しゅり   じょうあと)

 

 場所は以下の地図を参照してください。

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(参考文献 Wikipedia

 

★ ぐすく(御城)

  沖縄地方に点在する城で、本土の城とは異なり館や拝所であったと考えられる

 ものもある。

  王やあ司の居城となっていた。

 

★ あ司(あじ

  沖縄地方に存在した称号のひとつ。

  ぐすくなどを拠点とする地方豪族の首長やその家族の称号として使われた。

大奥 第19巻 ネタバレ

大奥 第19巻 (完結) 著者:よしながふみ (2021年3月発売)

 

(帯より)

男女逆転SF歴史ロマンの大傑作、ここに完結。

(裏表紙より)

国を思う者、人を思う者。立場は違えど、願うのはこの国の民の安寧-。

 

以下、ネタバレです。閲覧注意してください。

 

 

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 新政府が樹立したが、未だに徳川慶喜は政権の実を握っていた。国を新しく生まれ変わらせるためには、新政府の要求(辞官納地)になかなか従わない慶喜には死んでもらわなければならないと西郷隆盛は考える。そのために、江戸で騒動(夜盗、略奪、付け火、そして江戸城の火事等)を起こし、戦の口火を切るように仕向けた。

 

 そして、慶喜幕臣達の暴走を抑えられず、京の鳥羽口と伏見口で新政府軍と旧幕府軍の戦闘が始まった。戦況は一進一退であったが、新政府軍が帝の軍旗である錦の御旗(赤い緞子に金銀の日月の旗)を掲げ「官軍」を名乗り、旧幕府軍を「朝敵」とした。

 

 それを知った慶喜は数名の側近を連れて大坂城を抜け出し、軍艦で江戸に逃げ帰ってきた。慶喜に呼び出された勝海舟は陸軍総裁に任命され、徳川軍全軍の統御と停戦交渉を委ねられた。

 

 さらに、慶喜は大奥に天璋院和宮を訪ね、助命を乞うた。2人は慶喜のためではなく、自分の愛した方が慈しんだ江戸の町と民を守るために手紙を書いた。しかし、2人の努力も空しく、西郷率いる東征軍が江戸へ迫ってきた。

 

 慶喜寛永寺に蟄居して新政府に恭順の意を示しているが、西郷の江戸を総攻撃し、慶喜の首を奪ろうとする意志は固かった。

 

 

 新政府東征軍の指揮官・西郷と敗軍の総大将・勝の談判が3月14日に行われることになった。勝は供の者として天璋院和宮を連れて行った。

 

 西郷は国を長い事女将軍に治めさせ、国を閉ざし世界から大きく遅れた国にしてしまった徳川を徹底的に潰すと言う。隣の部屋で待っていた和宮が乱入してきて、西郷に先帝の宸翰を見せ、物申す。

 

 西郷はしばらくの間考えて、ふと「家茂公は男子でごわしたな」とつぶやく。歴代の将軍の名は男名であり、事実もそうであったに違いなく、慶喜を殺す必要もないと。そして、和宮が「徳川の女達がやった事全部好きなように歪めてええ代わりに、この江戸の町だけは傷ひとつ付けんといて!」と言うと、西郷は深々と頭を下げた。

 

 ここに、新政府軍による江戸総攻撃は回避され、江戸城無血開城が決定した。

 

 

 江戸城の明け渡しが4月11日に決まった。天璋院は皆を集め、城の明け渡しの通達と今までの労をねぎらった。そして、4月3日に大奥最後の花見の宴を催す事となった。

 

 花見の宴、当日。藤と躑躅が盛りを迎えた、佳き日。瀧山は流水紋の裃を身に着けていた。静寛院宮と名を改めた和宮は異装を解き、十二単の装いで現れた。

 

 次の日から掃除が始まった。新政府軍が土足で踏み入った時、思わず足を置くのをためらうぐらいに美しく廊下を磨き、衣類に香を焚きしめ大奥に置いてゆく。

 

 瀧山の部屋の掃除をしていた仲野に、瀧山が話しかける。大奥を出た後奉公先を探すという仲野に、瀧山は「私の元に来ないか」と言う。仲野は泣いて喜ぶ。

 

 江戸城退去日、天璋院の流水紋の裃と瀧山の流水紋の裃を並べて置いた。それを、天璋院と瀧山は眺めながら、思い出にふける。

 

 長い廊下、シャンシャンと鳴る鈴、「上様の、お成り-!!」、この廊下を歩いた女将軍達。

 

 天璋院の立ち退き時に、大奥の一室で瀧山が腹を切って、倒れていた。

 

 

 新政府軍が大奥の鍵を開けた。足を踏み入れると、塵ひとつない廊下、見事な流水紋の裃達に言葉を失う。指揮官の男は一言「燃やせ」と。何もかも燃やしてしまえとの西郷の命令があった。そして、没日録も炎の中に投じられた。

 

 

 

 明治4年、太平洋を航行する船の上に胤篤(天璋院)と中澤はいた。サンフランシスコまで初渡航の2人に対し、6度目の洋行となる瀧山。

 

 御一新後、胤篤はすぐに島津家を出て、英語塾に通ったりして日々を過ごしていたら貯えを全て喰い潰し、今回の渡航費用は借金した。なので、瀧山に雇ってほしいと頭を下げる。中澤も「あなた様は胤篤様に大恩がございましょう」と、3年前の出来事を言う。

 

 3年前、大奥の一室で腹を切った瀧山を仲野が発見した。まだ息があり、中澤と天璋院の協力もあり、一命をとりとめた。瀧山の懐に懐中時計が入っており、それで致命傷にならずに済んだ。その懐中時計は家定公の形見だった。胤篤は「ならばそれはあの方の思し召しぞ」と。

 

 静寛院宮が見舞いにやってきた。黒木は瀧山の手当てをした医師は兄で、彼は家定の医師団の一人であり、家定の最後について話したいと胤篤に言う。そして、自身は今後は宮様に仕えるつもりであると。

 

 後日、瀧山の診察にきた黒木の兄と胤篤が家定の最後について話をしていた。胤篤は家定は毒殺されたのではないかと長年疑っていた。黒木兄は家定は病にて亡くなったと、臨終の際の家定の様子を話した。それを聞いた胤篤は涙をこぼし、「これでやっと…」と。

 

 場面は船上へ戻る。大奥勤めの時は元服前で前髪があり、愛くるしい少年だった仲野は、瀧山の養子に入り吉兵衛と名乗っている。背が伸び、前髪もなく、ひげも生えている。

 

 瀧山は実業家として成功しており、今回も商談のための洋行である。瀧山は目端が利き便利に使えそうな中澤を使用人として雇うことにした。胤篤はおまけだと。

 

 その船には日本初の外国への女子留学生の一団の少女達が乗っていた。その中に、6歳の梅という少女がいた。